なんのために生まれて なにをして生きるのか やなせたかし
4月から始まったNHKの朝ドラ『あんぱん』は、『それいけ!アンパンマン』の作者 やなせたかしさんと奥様の暢(のぶ)さんの物語であります。
やなせさんは1919年に東京で誕生されました。お父様は編集者の仕事をされており、やなせさんは幼少期に上海で暮らしたこともあるそうです。
しかし、お父様の急死されて、一家は親類を頼って高知県に移住することになりました。
弟の千尋さんは後免町で開業医を営んでおられた叔父さんのもとに引き取られ、やがてお母様が再婚したことで、やなせさん自身も叔父さんのもとで育てられたそうです。
叔父さんはなかなかの趣味人で、やなせさんは叔父さんの影響を受けながら、絵を描くことを学んでいかれます。
東京高等工芸学校図案科を卒業後、田辺製薬宣伝部を経て、1941年に徴兵されました。
太平洋戦争では、中国の福州に駐屯し、暗号の作成・解読、宣撫工作などの任務に就かれたそうです。
幸いに大きな戦闘はなかったそうですが、敵の銃弾が耳をかすめたり、マラリアに苦しまれたことがあったそうです。
敗戦後は地元の高知に戻り、高知新聞社に入社したことを受けて、文章、漫画、表紙画など出版に関する仕事に携わっていかれました。
ドラマでは幼馴染という設定だった暢さんとは、このときに知り合われたそうです。
やがて、活動の場を東京に移し、漫画家を志されます。
専業漫画家として独立するも生活は厳しく、舞台美術制作や放送作家など、長い間、裏方の仕事で生計を立てられたそうです。
そんな中、たくさんの人との出会いを通して、1976年代に雑誌『詩とメルヘン』を立ち上げられると、詩人・絵本作家の活動を本格化されます。
1988年にテレビアニメ『それいけ!アンパンマン』が放送されると、瞬く間に大ヒットしたことはご存知の通りです。
このとき、やなせさんは69歳。本当に地道にコツコツと活動を続けてこられた結果であります。
冒頭の「なんのために生まれて なにをして生きるのか」という言葉は、やなせさんが作詞した『それいけ!アンパンマン』の主題歌『アンパンマンのマーチ』の歌詞です。
ドラマでは叔父さんの言葉として登場します。
この言葉は、私たちの人生のテーマとも言える言葉だと思います。
ドラマでは、戦時中、戦地で補給路が断たれたため、栄養失調で倒れてしまったやなせさんの前に、亡くなったお父様が声をかけるシーンが描かれました。
「こんな惨めでくだらない戦争を起こしたのは人間だ。でも人間は、美しいものをつくることもできる。人は人を助け、喜ばせることもできる」
「お前は何一つ無駄なことはやってはいない」
「お前は父さんの分も生きて、みんなが喜べるものをつくるんだ」
「何十年かかったっていい。あきらめずにつくり続けるんだ」
このときの「人を喜ばせるものを作りたい」という思いが、やなせさんの人生のテーマになったのではないでしょうか。
「なんのために生まれて なにをして生きるのか」。
このことを仏教では「出世本懐(しゅっせほんがい)」と言います。
浄土真宗の根本経典である『仏説無量寿経』では、法蔵菩薩の物語を通して、お釈迦さまの出世本懐である阿弥陀さまの願い、本願が説かれます。
阿弥陀さまの前身を法蔵菩薩と言いますが、もともとは国王であったそうです。国王は私たちが手に入れたい地位も名誉も財産も何もかもを手にした強い存在です。
どの国王も「自分の国を豊かにしたい」という願いを持っていると思いますが、ある日、世自在王仏の説法をお聞きになったとき、「自分もあなたのような仏になって、一切の人々の苦しみの本を抜き取りたい」という大いなる志を起こされました。
そして、国王の位を捨てて出家され、法蔵菩薩と名乗られたのです。
それから法蔵菩薩は仏道に励まれますが、「すべての人を救い取るには、一体どのような国を作ればいいのか」が分かりませんでした。
法蔵菩薩は世自在王仏に尋ねますが、世自在王仏は「それはあなた自身で知りなさい」と退けられます。
しかし、法蔵菩薩はあきらめません。「いいえ。この問いは仏さまでなければ解けません。どうかお教えください」と食い下がったのです。
法蔵菩薩の志が確かであったことから、世自在王仏は二百一十億に及ぶ仏国とそこに住む人民の善悪をお説きになり、法蔵菩薩は永い時間をかけて一つひとつ丁寧にご覧になりました。
そして、五劫という果てしない時間をかけて思惟され、ついに浄土を建立するための願い、本願を建てられたのです。
本願の精神は、「あらゆる人と対立することなく、みんなが満足していける世界」「自分自身に満足し、あらゆる人を尊敬していける世界」ということにあります。
この願いは法蔵菩薩の願いであると同時に、私たち自身が心の奥底で願っている本当の願いであるということです。
私利私欲を剥き出しにして、お互いに傷つけ合う私たちに、「浄土を願って生きよ」と、浄土の願いに生きる者を生み続けることが法蔵菩薩の願いであり、「南無阿弥陀仏」のお念仏のはたらきであるのです。
つまりは法蔵菩薩の出世本懐は「南無阿弥陀仏」であり、この教えを説いてくださったお釈迦さまの出世本懐もまた「南無阿弥陀仏」でありましょう。
私たちも日々の生活の中で、色んな仕事に携わり、色んな活動に励むことと思います。
その中で成功もあり、失敗もあり、挫折することもあるでしょう。
しかし、どのようなときも「南無阿弥陀仏」のお念仏を聞かせていただくことにおいて、私たちの本当の願い、浄土の願いを思い出すことができます。
大谷派の清沢満之先生は「天命に安んじて人事を尽くす」という言葉を遺されています。
この私を真実に目覚めさせようという法蔵菩薩の願いは、「南無阿弥陀仏」の声として、はたらきとして、常に私に届いています。
ですから、私は安心して、自分が今為すべきことを為せばよいのです。
そして、私が手を合わせて「南無阿弥陀仏」とお念仏を申す姿が、のちの人を導くはたらきとなるのでありましょう。
合掌
