無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり 親鸞

令和8年の幕開けとなりました。

今回の言葉は、「無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり」という『教行信証』総序の言葉です。

「阿弥陀さまのはたらきは、私たちの無明煩悩の心を破ってくださる太陽のようです」という、親鸞聖人の受け止めであります。

この言葉の前には、「難思の弘誓は難度海を度する大船」とあり、阿弥陀さまの本願をこの世を渡す大船(すべての人を救う船)に譬えておられます。

荒波の中を航海する大船と、暗闇を破って目の前に明るさをもたらせてくださる太陽の恵みがイメージされます。

一般的に、阿弥陀さまの寿命「無量寿」を慈悲に、阿弥陀さまのはたらき「無量光」を智慧に譬えられます。

無量の慈悲と無量の智慧を兼ね備えた仏が、阿弥陀さまです。

今回の言葉は、私たちを救わんとされる阿弥陀さまのはたらき、光明に関する言葉になります。

阿弥陀さまの光明は、十二種類の光に展開して説かれており、『正信偈』の中でも、無量光、無辺光、無碍光、無対光、光炎王(炎王光)、清浄光、歓喜光、智慧光、不断光、難思光、無称光、超日月光として説かれています。

それぞれの光を簡単に説明しますと、以下のようになります。

1.無量光は、限りない光です。

2.無辺光は、至らないところがない光です。

3.無碍光は、何者にも妨げられない光です。

4.無対光は、対比するものがない勝れた光です。

5.炎王光は、私たちの様々な迷いを焼き尽くす光です。

6.清浄光は、私たちの心を清らかにしてくださる光です。

7.歓喜光は、私たちに本当の喜びを与えてくださる光です。

8.智慧光は、私たちに無知であることを自覚させ、迷いを破ってくださる光です。

9.不断光は、決して絶えることなく私たちを照らし続けてくださる光です。

10.難思光は、私たちには決して思い量ることができない光です。

11.無称光は、私たちにはとても説明しきれない光です。

12.超日月光は、太陽や月の光に超え勝れている光です。

親鸞聖人は六字名号「南無阿弥陀仏」はもちろんのこと、九字名号「南無不可思議光如来」、十字名号「帰命尽十方無碍光如来」を大切にされました。

すなわち、阿弥陀さまをいわゆる絶対の人格者のように崇めることではなく、私たちを救わんとはたらき続けておられる光のはたらきをもって、光自体を「阿弥陀」という仏さまだといただいておられるのです。

『正信偈』ではこの後、「本願名号正定業」と、「本願により現われてくださった名号『南無阿弥陀仏』は、私が正しく往生の歩みをさせていただく業です」と受け止めておられます。

普通に考えるならば、私が「南無阿弥陀仏」とお念仏を申したその行為(業)により往生の歩みが始まると、私の行為(業)を手柄にしてしまうのですが、親鸞聖人は、私の行為(業)は一切問題とはされず、すべては本願の名号「南無阿弥陀仏」それ自体のはたらきとしていただいておられるのです。

つまり、「南無阿弥陀仏」の名号は、それ自体が本願から現れてくださった名のりであり、それ自体が声となり、私たちの無明煩悩の心を破って、私の心を浄土の願いで満たしていくはたらきであるという受け止めであります。

そして、そのはたらきこそが「阿弥陀」という仏さまだといただいておられるのです。

阿弥陀さまの光明に対する絶対の信頼が伺えます。

今年も一年、様々なご縁に遭っていくことと思います。その中で私の思いに叶うこともあるでしょうし、私の思いが叶わないこともあるでしょう。

しかし、どのようなときも、私は一人ではありません。

阿弥陀さまの光明に抱かれて、生きさせていただいているわけです。

そこに大きな安心があるのです。大きな安心に身を任せて、今年も一年、自分なりの目標に向かって、ともに精進してまいりましょう。

合掌

2025.12.31 掲載