光明てらしてほがらかに いたらぬところはさらになし 『浄土和讃』

令和6年の年明けとなりました。今回の言葉は、親鸞聖人が書かれた『浄土和讃』の言葉です。

全文は、
  一一のはなのなかよりは 三十六百千億の 光明てらしてほがらかに いたらぬところはさらになし
という歌です。

阿弥陀さまの浄土は、光の世界として表現されます。この歌は、浄土に咲く花の一つひとつから三十六百千億の光明を放つと説かれ、その光明が朗らかに私を照らしてくださっていることを讃嘆されたものです。

光明とは、「どのような者も漏らさず平等に救い取る」と誓われた阿弥陀さまのはたらきを意味します。光明の照らし方は一様ではなく、多様な生き方をしている私たち一人ひとりに応じるように、無数の光を放って私たちを照らしてくださるのです。さらに「いたらぬところはさらになし」と言われるように、光明が届かないところはないということです。

阿弥陀如来の特徴は、限りない慈悲と限りない光明を持って私たちを救ってくださることです。

お寺の内陣や仏壇の荘厳を例にしますと、線香や焼香の香りは仏の慈悲を表現し、ローソクの灯や金箔など視覚的な輝きは光明を表現すると言われています。 

しかし、いくら荘厳を尽くしたとしても、阿弥陀さまの光明それ自体は目には見えません。それなのに、どうして親鸞聖人は、光明のはたらきを実感されているのでしょうか。

それは光明を通して、ありのままのわが身の姿がはっきり分かり、それを引き受けて立ち上がっていく力を賜ったからに他なりません。

光明を通して映し出されるものは、罪悪深重のわが身の姿と、濁世と呼ばれるこの世の姿に他なりません。

阿弥陀さまの願いは、お互いに傷つけ合い、いのちを粗末にする私たちに、その罪の深さを伝え、「穢土を厭い、浄土を願う生き方に転じて欲しい」ということです。

浄土を願うということは、「みんながお互いのことを尊敬し合い、自分のいのちに満足する」ことです。

しかし、人間は煩悩を切り離すことはできませんから、何度も何度も過ちを犯してしまいます・・・。

「一体、どうすれば私たちの心を浄土に向けさせることができるのか」。この課題の解決が、阿弥陀さまの大きなご苦労でありました。
阿弥陀さまは数ある行の中から、私たちを平等に救い取るために、「南無阿弥陀仏」のお念仏を選び取られました。

私たちは阿弥陀さまの前に座って手を合わし、心静かに「南無阿弥陀仏」のお念仏を聞かせていただくとき、自らの過ちを懴悔し、阿弥陀さまの願いに感謝せずにはいられないのであります。

されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」(『歎異抄』)

浄土に向かって、あらゆる人とともに力強く歩んでいくのが浄土真宗という仏道なのです。

合掌
2023.12.31 掲載


ただ仏恩のふかきことをのぶ もっぱら称名たゆることなし 『御伝鈔』

今年も親鸞聖人のご命日、報恩講(ほうおんこう)の時期となりました。聖人は弘長2年(1262)11月28日の午後、90歳で往生を遂げられたと伝わります。

関東での布教活動に区切りをつけられた親鸞聖人は、60歳を過ぎた頃、生まれ故郷の京都に戻られます。

京都に戻られた理由はいくつか考えられますが、私は、生涯の著書である『顕浄土真実教行証文類』(以下『教行信証』)を完成させるため、文献が豊富である京都に戻られたと考えています。当時の京都は専修念仏の弾圧ムードが高まっている時期でもあり、京都では布教というよりも、執筆活動に重点を置かれました。

京都での親鸞聖人の生活は、縁者の家に身を寄せながら、関東の門弟から送られてくるわずかばかりの志を頼りにした、大変、質素なものであったと考えられます。

そして、75歳頃に『教行信証』を完成させると、晩年は民衆にも分かりやすい、かな交じりの『和讃』をたくさん執筆されました。また、関東の門弟とは手紙のやりとりで信仰に関する議論を交わされました。

その後、関東で誤った念仏理解が広まると、名代として息子の善鸞を派遣して収拾を図りますが、その意に反し、さらなる混乱を招いてしまった善鸞を義絶するという悲しい事態に陥ったり、親鸞聖人のご苦労は絶えませんでした。

90歳になり、徐々に体調を悪化された聖人は、11月半ばより床に臥しました。

法語の言葉は、ひ孫である覚如上人が、親鸞聖人の伝記である『御伝鈔』に記した往生の様子を綴った言葉です。

聖人はこの頃、実弟の尋有が住職を務める善法院に身を寄せており、末娘の覚信尼や数名の門弟が臨終を看取ることになりました。

床に臥した親鸞聖人は、世間のことを一切口にしなくなり、ただ阿弥陀さまに対する恩徳を語られたそうです。

そして、「南無阿弥陀仏」のお念仏を終始、口に出されましたが、ついに念仏の息が絶えられたのです。

臨終にあたっては、頭北面西右脇(ずほくめんさいうきょう)という、お釈迦さまの涅槃の儀が採用されました。ちなみに法然上人もこのお姿で往生されています。

臨終のときに、「紫雲や五色の雲がたなびく」「諸仏が来迎される姿が見える」などの奇瑞はなく、静かに息を引き取ったそうです。

これについて、末娘の覚信尼が父の往生について心配し、越後国で離れて暮らしていた母の恵信尼に手紙を書きました。

これに対して恵信尼は、「どのような臨終であっても、往生は間違いのないことです」と強調されました。

その理由は、阿弥陀さまの信心をいただいた人は、すでに阿弥陀さまの摂取の光明に抱かれ、護られているからです。

したがって、親鸞聖人は常々、「信心のさだまるとき 往生またさだまるなり」(『末灯鈔』)と、仰っていたのです。

臨終の姿や、来迎の有無に執らわれることなく、ただ「南無阿弥陀仏」のお念仏を申し、罪悪深重のわが身を救い取ろうとされる阿弥陀さまの仏恩の深きことに頭が下がるのみであります。

合掌
2023.11.26 掲載


人も草木も虫も同じものはない みな光る 榎本栄一

今年も夏が近づいてまいりました。梅雨から夏にかけての時期は、草木が勢いよく伸び、虫の活動も活発となります。

これについて、私たちは不快感を示すことも多々あります。

せっかく剪定した枝が伸びて「また剪定か・・・」、庭に生えた草を見ると「また草抜きか・・・」と、愚痴をこぼします。
虫についても「気持ち悪い」という理由で駆除したりして、歓迎されることは少ないのではないでしょうか。

「雑草」「害虫」という言葉は、まさに人間の都合によって作られた言葉です。

現在放送中のNHK朝ドラ『らんまん』の主人公のモデルになっている植物学者の牧野富太郎博士は、「雑草という草はない」という言葉を残されたそうです。植物には一つひとつ名前があるわけです。もし、新種の植物であれば新たに名前が付けられます。そして、同じ名前の植物であっても、一つとして同じ形のものは存在しないわけですね。牧野博士は植物を通して、人生そのものを学ばれたわけです。

ところが、私たちはそうはいきません。自分にとって都合が悪い草を「雑草」と呼び、何としても排除したいと考えます。
同じように、自分にとって都合が悪い虫を「害虫」と呼び、殺生を厭いません。

そして、私たちの人間関係もこれと同じではないでしょうか。自分にとって都合の良い人とは付き合いたいと思いますが、自分にとって苦手な人とは、距離を置きたいと考えます。

私たちの思考は、「あらゆるいのちをバラバラに捉えて、自分にとって都合が悪いものは排除する」ことにあると言えるでしょう。

戦争はまさにその最たるもので、日本国内においても「人を殺して死刑になりたい」「誰でもよかった」という、身勝手な理由での殺人事件が多発し、現代は本当に恐ろしい時代に入ってまいりました。

今回の法語は、榎本栄一さんの著書『念仏のうた 光明土』(樹心社)からの引用です。

原文は、

いのちの饗宴
-天上天下唯我独尊-
人も 草木も 虫も 同じものは一つも うまれない
いまうまれたもの これからうまれるもの ごらんください
同じやなくて みな光る
白色白光 青色青光

というものです。

最後の「白色白光 青色青光」は、『仏説阿弥陀経』の言葉を受けたものです。
浄土の荘厳を説く中で、「浄土の池には、車輪のように大きな蓮の花が咲き、それぞれの色の花がそれぞれの色の光を放ち、とても気高い香りを放つ(趣意)」という箇所があります。

蓮の花は仏教を象徴する花として知られていますが、それは「汚い泥に根を張りながら、とても美しい花を咲かせる」という様子を私たちの救いに譬えているわけです。

つまり、仏教を聞くことで、煩悩まみれの汚い心(自分さえ良ければいいという心)から、浄土を願う清浄な心(自他ともに円満でありたいと願う心)に転じられていく様子を蓮の花で表現しているわけです。

阿弥陀さまは、「愚かな私たちの心を何としても浄土に向けて欲しい」と、「南無阿弥陀仏」の名号を選ばれ、私たちにお念仏を申すことを強く願われているのです。

いのちは本来、つながり合っています。

草木は光合成をして地球に酸素を供給します。酸素がなければ、あらゆる生き物は生きていくことができません。
虫は植物の受粉に役立ったり、捕食し、捕食されながらいのちをつないでいます。
草木の根は土砂崩れを防ぎ、果実は多くの生き物を喜ばせます。

このように、あらゆるいのちは、それぞれに役割を持ち、その役割を果たすため、与えられたいのちを精一杯、輝かせているのです。

一つとして、無駄ないのちはありません。

とは言え、私たちの「雑草」「害虫」という感覚はどうしても拭えませんし、特に農業や食肉業を生業にされている方は、生活のために殺生をしなければなりません。

私たちはそのご苦労を知らずに、スーパーで買ってきた食材を調理し、自分は善人だと思って生きています。

まさに愚かな存在です。

しかし、悪びれずに当然のように殺生を行うのと、痛みを感じながら殺生を行うのは、大きな違いがあるように思います。

殺生は、仏教では最大の罪として説かれます。しかし、人間は殺生をしなければ生きていくことができません。
まさにこの私は、「罪悪深重 煩悩熾盛の衆生」(『歎異抄』)です。
「恥ずべし、痛むべし」(『教行信証』)です。

それにもかかわらず、どんなに愚かな私であっても、救い取ろうとされるのが、阿弥陀さまの大慈悲なのです。

その有り難さを感じながら、「南無阿弥陀仏」のお念仏のもと、殺生を痛み、少しでも戒めてまいりましょう。

合掌
2023. 7. 8 掲載


あなたは あなたであることにおいて尊い 釈尊  「天上天下唯我独尊」の言葉より

4月に入り、新生活への希望と不安を抱えておられる方もたくさんいることと思います。
何事も慣れるまでが大変ですが、経験し、慣れてしまえばそれまでの不安など一気に消え去ってしまいます。

春は冬の間に眠っていた虫が目を覚ましたり、樹々に若葉が出てきたり、新しい「いのちの誕生」を彷彿とさせる季節です。
そんな中、4月8日にはお釈迦さまの誕生会「花まつり」があります。

お釈迦さまは、今から2500年以上前、インド北部(現ネパール)にあるルンビニー村の花園において誕生されました。
お父さんは、カピラ城を治めるシュッドーダナ王、お母さんは王妃のマーヤです。

伝説によりますと、マーヤ王妃は天より白い象が舞い降りて自分のお腹に入る夢を見たのちに、赤ちゃんを授かったそうです。
そして、出産にあたって里帰りをしている途中、休憩のために立ち寄った花園で、マーヤ王妃が木に咲く花を取ろうと手を伸ばしたときに、マーヤ王妃の右脇よりお釈迦さまが誕生されたそうです。

一見、笑い話のようですが、身分制度が厳しいインドにおいて、生まれてくる体の部位は家柄を表しているそうです。
最上級のバラモンは頭から生まれます。お釈迦さまは王族ですからその下の脇、平民は胴体、そして、最下層の奴隷は足といった感じです。
インドにおいては、今日もこういった身分制度が色濃く残っています・・・。

伝説によりますと、お釈迦さまは、生まれてすぐに七歩歩かれて、右手の人差し指を天に、左手の人差し指を地に向けて、「天上天下唯我独尊」と宣言されたそうです。

「天上天下唯我独尊」とは、「自分が一番偉い」という傲慢な心ではなく、「あなたは あなたであることにおいて尊い」という、いのちの尊さを意味しています。

そして、七歩歩かれたのは、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)の迷いを超える存在であることを意味しています。

とは言え私たちは、本来、誰とも代わることのできない尊いいのちを生きていながら、そのことに満足できません。

誰かと比較しては、優越感に浸ったり、劣等感に陥ったりします。
そして、老いや病気、いつか死んでいく事実、最愛の人との別れをなかなか受け止めることができません。
それは私たちが煩悩(ぼんのう)を抱えた存在であるからです。

お釈迦さまは、29歳で出家され、最初のうちは先生に従事しましたが、途中からは先生に依らず、一人で修行を重ねられました。
そして、35歳のとき、菩提樹の下で瞑想に入られると、お釈迦さまは、自分の心と対峙されました。
様々な心の誘惑は、悪魔の形となって軍隊のようにお釈迦さまを攻撃しました。
しかし、お釈迦さまは怯むことなく、一つ一つの悪魔を降伏させると、ついに、この上ないさとりの境地に至られたのです。

お釈迦さまの場合は、一人で苦しみや迷いを超えていくことができましたが、私たちの機根においては、とてもお釈迦さまと同じことができるわけもありません。

このような私たちのために、お釈迦さまが説かれたのが、阿弥陀さまに至るまでの法蔵菩薩の物語であったのです。

法蔵菩薩もお釈迦さまと同じく、元王族でありました。
王族とは、富と名誉を兼ね備えた、私たちが考える幸せの象徴です。
しかし、世自在王仏の説法をお聞きになると、感激のあまり、すぐさま出家されたのです。
そして、「自分も世自在王仏様のような仏と成って、すべての人の苦しみの本を抜き取ってあげたい」という、この上ない誓いを建てられ、世自在王仏とともに、「どうすればすべての人を等しく救うことができるのか」という課題に取り組まれました。

そして、ついに法蔵菩薩は五劫(ごこう)という気の遠くなる時間をかけて考えを巡らされ、浄土の具体相を四十八の本願(ほんがん)をもって明らかにされたのです。

浄土とは、私利私欲が叶う世界ではなく、「誰とも争うことなく、みんなが自分のいのちに満足できる」世界です。
この願いは、私たちの誰もが心の奥底に秘めている本当の願いであり、この願いを掘り起こしていくことが日々の聞法になります。

法蔵菩薩は、私たちにこの願いに生きるよう、この願いを忘れないように、「南無阿弥陀仏」のお念仏を選ばれたのです。

お念仏であれは、いつでも、場所を選ばずに、誰もが称えることができます。
そして、「南無阿弥陀仏」のお念仏の声を通して、何度でも本願に還っていくことができます。

あらゆるいのちは、そのままで十分に尊いのです。粗末ないのちなどありません。

自分に自信と責任を持ち、「誰とも争うことなく、みんなが自分のいのちに満足できる」世界、浄土を念じながら、「南無阿弥陀仏」のお念仏に生きるエネルギーをいただき、4月からの新生活を一歩一歩、力強く歩んでまいりましょう。

合掌
2023. 4. 5 掲載