あなたの強さは あなたの弱さから生まれる 小澤竹俊
今回は認定NPO法人おてらおやつクラブからいただいた法語を掲示させていただきました。ホスピス医としてご活躍の小澤竹俊さんの言葉です。
小澤さんは、1994年に横浜甦生病院ホスピス病棟で勤務されることになり、ホスピス医として歩みはじめました。
2006年には横浜市瀬谷区にめぐみ在宅クリニックを開院されています。
「ホスピス」という言葉は、ラテン語のHospitiumが語源で「暖かいもてなし」という意味があるそうです。中世ヨーロッパでキリスト教の教会が巡礼者や旅人を休憩させたり、水や食べ物を与えた場所が原点であり、日本では人生の最終段階を迎えた人をもてなし、穏やかに過ごしていただくために痛みや苦しみを和らげる治療やケアのことを指します。
長年の勤務で小澤さんが強く感じておられることが、「人の弱さこそが、人を強くする」ということです。
人の弱さとは一体、何でしょうか。例えば、お金や地位、名誉、才能など目に見えやすい強さを持っていないこと、老いや病気で一人でできることが少なくなっていくことです。また、「すぐに人のせいにする」「自分の過ちを認めない」など、直したいけれど直せない性格なども含まれます。
その中で小澤さんは、自分の弱さを分析することで、「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極めて、「変えられるもの」は変えていく向上心を持つとともに、「変えられないもの」は受け入れる勇気を持つことが大切だと仰います。
強いところも弱いところも全部ひっくるめて私です。
そして、自分の弱さを受け入れたとき、初めて他人の弱さを受け入れられるようになります。
人間は誰もが不完全な存在です。不完全な者同士がともに生きているのが社会です。
誰かの弱さを攻撃したり、切り捨てたりする社会ではなく、お互いの弱さを認め合い、尊重し、助け合う社会であって欲しいと切に願います。
小澤さんはまた、「苦しみや痛みを抱え、弱い状態にある人はみな、『自分の気持ちをわかってくれている』と思える誰かを求めています」と仰います。
『無量寿経』の中に、「人在世間 愛欲之中 独生独死 独去独来 身自当之 無有代者」(人、世間の愛欲の中にありて、独り生まれ、独り死し、独り去り、独り来る。身みずからこれを受け、代わる者あることなし)と説かれています。
人間は本来、独りで生まれて、独りで死んでいく孤独な存在です。そして、自分の人生は誰かに代わってもらうことのできないものです。
したがって、自分の人生は自分で責任を負う必要があります。
そんな中、私たちは「誰にも分かってもらえない」と感じたときに、深い悲しみとともに心を閉ざしてしまいます。
逆に、「この人に分かってもらえた」と思えば、喜びとともに心も開かれていきます。
「誠実に話を聞いてくれる人」が、身近にいればこれほど心強いことはありません。
しかし、なかなか身近にはいないことが多いと思います。
小澤さんは、「人生は、自分を理解してくれる人を探す旅である」と仰り、「自分の気持ちをわかってくれると思える誰かと共に生きること」も幸せの一つの形であると考えておられます。
それでも見つからない場合は、自分が人の話を誠実に聞く人となり、苦しい人に接することが大切です。
自分の態度が変われば、相手も必ず心を開いてくれることでしょう。
また、小澤さんは、「『わかってくれていると思える誰か』は、生きている人間でなくてもいい」と仰います。
小澤さんは、その誰かを「目に見えない伴走者」と呼んでいます。
小説やエッセイ、漫画、音楽、映像作品、テレビ番組、ラジオ番組などを通して、有名な作家やアーティスト、空想の人物の言葉でも構わないでしょうし、亡くなったご先祖や、お世話になった先生、友人との大切な思い出でも構わないでしょう。
小澤さんはキリスト教徒ですので、根本には神様の存在を意識されているかもしれません。
私どもにとりましては、根本の大慈悲は、「南無阿弥陀仏」の阿弥陀さまに他なりません。
阿弥陀さまは、法蔵菩薩であられる頃、「すべての人を平等に救いたい」と願われ、「もし救うことができないならば、仏には成らない」と誓われております。
そのために阿弥陀さまは浄土を建立され、私たちに浄土に向かって生きることを促されています。
浄土というのは、私たちの本当の願いが成就した世界です。すなわち、「誰とも対立せず、自分に満足できること」です。
「自分さえよければいい」と好き勝手に生きている私たちの心を、自他ともに満足できる浄土に向けてもらうために阿弥陀さまが選び取られたのが、「南無阿弥陀仏」のお念仏であります。
金子みすゞさんの『さびしいとき』という詩に、
私がさびしいときに、よその人は知らないの。
私がさびしいときに、お友だちは笑うの。
私がさびしいときに、お母さんはやさしいの。
私がさびしいときに、仏さまはさびしいの。
とあります。
阿弥陀さまは、私たちの罪をすべてご覧になっています。その上で、私たちの苦しみや悲しみをすべて受け止められ、私の心を浄土へと導くためにはたらき続けてくださっています。
私たちは、いついかなるときにおいても、「阿弥陀さまの大きな慈悲に抱かれて生かされている」ということです。
冒頭の認定NPO法人おてらおやつクラブは、2013年5月に大阪市北区で起こった母子餓死事件をきっかけに発足した「こどもの貧困問題の解消」を目指す活動です。
具体的には、お寺に寄せられたお供え物を「仏さまからのお下がり」として、必要な家庭におすそ分けさせていただいており、高松市仏教会では、2016年よりおてらおやつクラブの活動に参加し、毎月10日前後に発送会を行っております。
発送会で仕分けされた物資は、支援団体様を通して必要な家庭に届けられます。
また、より多くの声を拾えるよう、ヤマト運輸さん協力による匿名での個別発送も始まっております。
物資を送る際には、必ず「メッセージ」を書いて、家庭に思いを伝えるようにしています。
これは顔の分からない者同士のやりとりですが、「確かに見守っているよ」という気持ちを伝えるためです。
先ほどの話では、貧困も一つの弱さかもしれません。しかし、「声を上げれば、誰かが助けてくれる」と思えばとても心強いですし、支援を受けた人がまた、「誰かの力になりたい」と思って行動すれば、優しさの好循環が生まれ、より幸せな社会につながっていくのではないでしょうか。
合掌
2024. 7. 7 掲載
その時の出逢いが 人生を根底から変えることがある よき出逢いを 相田みつを
新年度が始まりました。今回の言葉は、相田みつをさんの言葉です。
4月は入学、進級、入社、異動など、新しい環境に身を置かれる方がたくさんおられると思います。新しい環境に慣れるまでは、不安や戸惑いがたくさんあると思いますが、新しい環境は新しい出逢いに触れるチャンスでもあります。
私たちもこれまでに素晴らしい人と出逢ったことはないでしょうか?いつも話を聞いてくれた親友、私を丁寧に指導してくださった恩師などです。
人生は出逢いの連続とも言えます。私たちは生涯のうちにたくさんの人と出逢い、たくさんの人に育てられて今の私があるのです。
取り分け仏教では、私を仏法に向かわせてくださる人を「よきひと」「善知識」と呼び、諸仏として仰ぎます。
親鸞聖人で言いますと、29歳のとき、比叡山での修道に行き詰まり、六角堂の参籠を経て、身分や性別を問わず、民衆にお念仏の教えを説かれていた法然上人との出遇いが人生を決定づけるものとなりました。
この出遇いは、まさに親鸞聖人の人生を根底から変えた出来事でした。
それまでは「自分の力で必ずさとりを開く」と、一生懸命に励まれていたのですが、その望みは叶わず、頓挫してしまいます。そうこうしている間に、新入りが貴族の家柄というだけで出世していく歯がゆさもあったことでしょう。比叡山という、仏のさとりを求める学場ですら、世間の価値観に押し流されていたのです。
「もうどうしようもない」と諦めたとき、親鸞聖人は夢のお告げに促されて、法然上人に出遇うことができました。親鸞聖人が法然上人からいただいた言葉は、「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」(『歎異抄』)の一言でありました。仏道は自分で作るものではありませんでした。すでに阿弥陀さまによって用意されていたのです。
阿弥陀さまは、私たちの存在を凡夫(ぼんぶ)と言い当てられ、すべての者に「浄土に生まれたいと願って生きて欲しい」と、平等に大悲されています。私たちは常に阿弥陀さまの大きな願いに抱かれているのです。
しかし、世間の価値観を離れられない私たちには、阿弥陀さまのお心を知る由もありません。そこで阿弥陀さまは、私たちのために「南無阿弥陀仏」のお念仏を選ばれたのです。私たちは、ただお念仏の声を通して、わが身の事実と浄土への願いを聞かせていただくのです。
この出来事を親鸞聖人は、回心(えしん)と呼ばれ、「雑行を棄てて本願に帰す」(『教行信証』)と、高々に宣言されました。
それではその後、親鸞聖人の苦しみは消えたのでしょうか?そうではありません。親鸞聖人は35歳のときに、権力者の怒りによって罪人にされ、越後に遠流となられます。見知らぬ地で罪人としての暮らしは、とても困窮されたことと思います。また、関東に向かう途中、佐貫に滞在中に災害で苦しむ人々のことを思い、『浄土三部経』を1000回読誦しようと試まれたことがありました。しかし、お経を「現世利益」のために拝読することに抵抗を感じ、断念されました。また、晩年、京都の自宅が火災に遭ったり、異議がはびこったことで、お念仏の教えが混乱している関東に、自身の名代として息子の善鸞を派遣したところ、さらに混乱を深めてしまい、お念仏の教えを護るために親子の縁を切るという壮絶な悲しみがあるなど、どこまでも苦しい人生ではなかったかと推測します。
しかし、親鸞聖人は苦しみを正面から受け止められ、何度でも乗り越えていかれました。お念仏は苦しみを消す呪文ではなく、苦しみを苦しみとして受け止めて、阿弥陀さまと一緒に乗り越えていく仏道なのです。
また、浄土は単なる死後の世界ではなく、「誰とも対立しないこと」「自分を受け入れて自信を持って歩むこと」という、私たちの根底からの願いに満ちた世界です。
誰もができれば苦しみを避けたいと望みます。しかし、ご縁は私の意志とは関係なく、淡々とやってくるものです。
「もうだめだ」と思う一方で、苦しみは私たちが人生を問い直すチャンスでもあり、私たちを大きく成長させる機縁でもあります。
人生、楽しいときもたくさんありますが、逆に苦しいときもたくさんあります。いいときも悪いときも、どのようなときであっても、「南無阿弥陀仏」のお念仏を聞かせていただき、浄土を願って、力強く歩みを進めてまいりましょう。
諸仏は現在の人に限らず、親鸞聖人、法然上人、聖徳太子、お釈迦さまの教えがまさにそうですし、先輩方やご先祖様の姿や言葉も含まれます。
つまりは浄土の歴史そのものです。そして、私たちもいつか浄土の歴史に参画していくのでありましょう。
合掌
2024. 4.10 掲載