その時の出逢いが 人生を根底から変えることがある よき出逢いを 相田みつを

新年度が始まりました。今回の言葉は、相田みつをさんの言葉です。

4月は入学、進級、入社、異動など、新しい環境に身を置かれる方がたくさんおられると思います。新しい環境に慣れるまでは、不安や戸惑いがたくさんあると思いますが、新しい環境は新しい出逢いに触れるチャンスでもあります。

私たちもこれまでに素晴らしい人と出逢ったことはないでしょうか?いつも話を聞いてくれた親友、私を丁寧に指導してくださった恩師などです。
人生は出逢いの連続とも言えます。私たちは生涯のうちにたくさんの人と出逢い、たくさんの人に育てられて今の私があるのです。

取り分け仏教では、私を仏法に向かわせてくださる人を「よきひと」「善知識」と呼び、諸仏として仰ぎます。

親鸞聖人で言いますと、29歳のとき、比叡山での修道に行き詰まり、六角堂の参籠を経て、身分や性別を問わず、民衆にお念仏の教えを説かれていた法然上人との出遇いが人生を決定づけるものとなりました。

この出遇いは、まさに親鸞聖人の人生を根底から変えた出来事でした。

それまでは「自分の力で必ずさとりを開く」と、一生懸命に励まれていたのですが、その望みは叶わず、頓挫してしまいます。そうこうしている間に、新入りが貴族の家柄というだけで出世していく歯がゆさもあったことでしょう。比叡山という、仏のさとりを求める学場ですら、世間の価値観に押し流されていたのです。

「もうどうしようもない」と諦めたとき、親鸞聖人は夢のお告げに促されて、法然上人に出遇うことができました。親鸞聖人が法然上人からいただいた言葉は、「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」(『歎異抄』)の一言でありました。仏道は自分で作るものではありませんでした。すでに阿弥陀さまによって用意されていたのです。

阿弥陀さまは、私たちの存在を凡夫(ぼんぶ)と言い当てられ、すべての者に「浄土に生まれたいと願って生きて欲しい」と、平等に大悲されています。私たちは常に阿弥陀さまの大きな願いに抱かれているのです。

しかし、世間の価値観を離れられない私たちには、阿弥陀さまのお心を知る由もありません。そこで阿弥陀さまは、私たちのために「南無阿弥陀仏」のお念仏を選ばれたのです。私たちは、ただお念仏の声を通して、わが身の事実と浄土への願いを聞かせていただくのです。

この出来事を親鸞聖人は、回心(えしん)と呼ばれ、「雑行を棄てて本願に帰す」(『教行信証』)と、高々に宣言されました。

それではその後、親鸞聖人の苦しみは消えたのでしょうか?そうではありません。親鸞聖人は35歳のときに、権力者の怒りによって罪人にされ、越後に遠流となられます。見知らぬ地で罪人としての暮らしは、とても困窮されたことと思います。また、関東に向かう途中、佐貫に滞在中に災害で苦しむ人々のことを思い、『浄土三部経』を1000回読誦しようと試まれたことがありました。しかし、お経を「現世利益」のために拝読することに抵抗を感じ、断念されました。また、晩年、京都の自宅が火災に遭ったり、異議がはびこったことで、お念仏の教えが混乱している関東に、自身の名代として息子の善鸞を派遣したところ、さらに混乱を深めてしまい、お念仏の教えを護るために親子の縁を切るという壮絶な悲しみがあるなど、どこまでも苦しい人生ではなかったかと推測します。

しかし、親鸞聖人は苦しみを正面から受け止められ、何度でも乗り越えていかれました。お念仏は苦しみを消す呪文ではなく、苦しみを苦しみとして受け止めて、阿弥陀さまと一緒に乗り越えていく仏道なのです。

また、浄土は単なる死後の世界ではなく、「誰とも対立しないこと」「自分を受け入れて自信を持って歩むこと」という、私たちの根底からの願いに満ちた世界です。

誰もができれば苦しみを避けたいと望みます。しかし、ご縁は私の意志とは関係なく、淡々とやってくるものです。

「もうだめだ」と思う一方で、苦しみは私たちが人生を問い直すチャンスでもあり、私たちを大きく成長させる機縁でもあります。

人生、楽しいときもたくさんありますが、逆に苦しいときもたくさんあります。いいときも悪いときも、どのようなときであっても、「南無阿弥陀仏」のお念仏を聞かせていただき、浄土を願って、力強く歩みを進めてまいりましょう。

諸仏は現在の人に限らず、親鸞聖人、法然上人、聖徳太子、お釈迦さまの教えがまさにそうですし、先輩方やご先祖様の姿や言葉も含まれます。

つまりは浄土の歴史そのものです。そして、私たちもいつか浄土の歴史に参画していくのでありましょう。


合掌
2024. 4.10 掲載